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  • 「検閲」により、「表現の自由」を奪われることの恐ろしさを感じる曲です。
  • ボーカル&手話パフォーマンスユニットによる実話を基にした曲です。

    MVでは、耳の聞こえない大学生の女の子と、その子のサポートをすることになった男の子が出てくるのですが、その2人が毬江と小牧と重なりました。
  • この曲は桜井和寿さんから亡くなったお父様へ贈られた作品です。
    二度と会えなくなったあの人が、私をいつも見守ってくれている。
    そんな悲しみの果てにある感謝にたどり着いたとき、ようやく涙をぬぐって生きていけるのかもしれません。
    若くして病に倒れたまみずの命も、卓也や残された家族を光り輝かせていましたね。
    ミスチルは死についても深い洞察を持ち、変わらない愛について歌っているのだと気づいた一曲です。
  • トタン屋根の残骸は人間の首から上を吹き飛ばし、旋風は豆粒の如く人々を軽々と巻き上げる。
    溺死者が川面を流れてゆき、水面には見る影もなく膨らんだ花魁が、重なり合って息絶えている。

    火達磨になって死んだ男。
    憐れなるかな。大人しく言うことを聞いて、背負った荷物を捨てていれば助かったかもしれぬのに。

    愚かなるかな。今も昔も、根も葉もない噂で人が死ぬのは変わらない。朝鮮人というだけで、罪のない人々が殺された。

    ホラ吹きと言われた地震学者に、流言・暴動・憲兵の虐殺。
    陰惨たる過ちの歴史がここに連なる。
    著者は冷徹にならない程度に距離を置きながら、意見を述べる。

    知るのも自由、知らぬのも自由。
    但しここに書かれたものは全て事実であることを、ゆめゆめ忘れてはならない。
  • 感想を端的に要約すると「総ては僕の捕らえ方次第だ」
    当り散らしは言わずもがなのタブー...そうよね。

    「捉える」解釈で終わらせず、あえて「捕らえ」と、自分の人生、自分でつかむ感がいい!
    私こそ世界の中心。笑
  • 最初にこの歌を聴いて、この小説じゃん!順正!と。
    昔の恋人をずっと想っているのが「どうか正夢 君と会えたら何から話そう」というサビと重なり。
    「予想外の時を探し」てしまうけど、
    「ずっとまともじゃないってわかってる」を行き来する気持ち、せつない。
    「やつあたりで傷つけあって巻き戻しの方法もなくて」ねぇ、どれだけ後悔してもどうにもならない。
    切ないけど希望が持てるところもにている。
  • 虫の知らせというかシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)の世界観で心を揺さぶるこの曲が気づかないところで善意の繋がりを辿って動き出すこの物語に繋がって選びました。
  • 「本には奇跡を起こす力がある」。その言葉を彼は信じた。
    くすみ書房を支援する輪は、いつしか全国に広がっていった。

    「神様ほんの少しだけ 絵に描いた幸せを」。

    気を抜くと忘れてしまいそうなぐらいにささやかだ。ささやかだけど、大切な輪。彼には同じぐらい思い入れが強くて、優しい歌が似合う。

    「さあここにおいでよ 何もないけれど
    どこにでも行けるよ 少し身悶えるくらい」

    当たり前の日常のなかに人知れず咲く花を、人は奇跡と呼ぶのかもしれない。
  • どちらにも夜、花というキーワードがピッタリハマった。
    〈僕の目 ひとつあげましょう だからあなたの目をください
    まだ見たことのない花 新しい季節を探してた〉

    目は芽とも言い換えられる。可能性に満ち溢れている芽。それを子どもとして、代わりに目を差し出す。見張る、見つめる、見直すなど、子育ては目を使う機会が多くある。目から芽を育てる。そんな感覚でピッタリだと感じた。
    新しい季節は良い言葉だなと思う。章の終わりには明るい気持ちになった。もがきながら、悩みながら、新しい季節を見つけたときの彼らの幸せを願ってやまない。
  • こればかりはおどるポンポコリン、以外にピッタリの曲はないだろう。作詞にはさくらももこも参加している。
    この曲にもエピソードがあり、少女時代のさくらももこが家族と団欒中、植木等が歌うスーダラ節がテレビから流れ、「『ああいう歌を作りたい』……15年後その夢をすてずに作った曲」

    それが今もなお愛され続けているおどるポンポコリンであった。
    聴く人を「なんとかなるさ」と思わせてくれる前向きなエネルギーに満ち溢れていて、ゴールデンボンバーがうたうことでそれが更に日曜日の夜の憂鬱を吹き飛ばしてくれる。